生まれて初めてコンタクトレンズを買ってみた。
考えてみると、生きてきた時間の半分ぐらい、眼鏡をかけていることになる。もっとも、物心付く前の時間を考えれば、眼鏡と僕ってもう切っても切り離せない感じになっちゃっている。眼鏡をかけていない自分の顔がなんとも間抜けに見えてしまうのだ。
これまでも何度か買おうかと思ったこともある。鈴鹿で走ったときとか、減量のためにランニングしたくなったときとか。が、手入れが面倒なのがいやなのと、なにより、目に異物を入れちゃう恐怖心からとりあえず、眼鏡をかけていれば問題なかったので、こんな年齢になるまでコンタクトレンズとは無縁な日々を送ってきたのである。
今回、どうしても買わなくてはならなくなってしまった。それは、3月2日の国府宮はだか祭に参戦するから。ふんどしして酔っぱらった男どもの群れの中に、自分もふんどしして分け入って、いくのだ。
国府宮はだか祭りは裸の男がただ押しくらまんじゅうしているんじゃなくて、目的があってある一点に向かってなだれ込んでいるのである。
祭り当日、参道と境内は裸男のためだけの聖域となる。僕は去年、仕事のために服を着て参道に入ったことがあるけれど、周りからの怒声がひどかった。服を着ているやつが神聖な場所に入ってはいけないのだ。裸になって清めの儀式を経た人間じゃないと基本的には立ち入っちゃいけないのである。
裸男の目的は、「神男(しんおとこ)」にさわることなのである。さわると何かよいことがあるのか、といえば、さわることで自分の厄が神男に移り、厄落としになるのである。
酒に酔って目が血走った神男が数千人、参道の中で手ぐすね引いて待ちかまえる中、タイミングを見計らって神男がどこからか参道に入る。神男が入る場所は毎年変わり、極秘事項である。神男にさわるのが目的で裸になっているのだから、みんな神男に大挙して押し寄せる。ただでさえ、満員電車並の込み具合なのに、ある一点に向かって押し寄せる姿を想像してほしい。中に入ってしまうと、息もできないぐらいの圧迫を受けるし、下手して転んでしまった日には、踏みつけられて死んでしまうかもしれない。
そういうデンジャラスなお祭りなのだが、もっとも危険が危ないのが神男。まさしく、群衆の圧力の中心にいて、普通にタッチするだけならかまわないけれど、酔っぱらいもいる。無理矢理手を伸ばしたり、飛び込んだりしてくるやつもいる。参道に入って、ゴールの儺追殿(なおいでん)に抱え上げられるまでの1時間で、前身打撲を負って動けない状態になってしまうのである。鉄鉾会(てっしょうかい)
という神男OBの会がボディーガードを務めるのだが、それでも最後にはほぼ意識不明の状態で儺追殿に引きずりあげられるのである。
で、そんな危険なところにふんどししめて突入することになった。好きで行くのではなく、仕事なのである。群衆の中で何が起きているかを見てこなくてはならない。
場所は、将棋倒しよりももっと状況が悪い場所。眼鏡なんかしていたら危険この上ない。僕は眼鏡を外すとまったく何も見えなくなるので、仕事をちゃんとしたかったらコンタクトを買うしかないのである。
で、江南市内の眼科に行ってコンタクトを買う。眼科だから親切丁寧に説明と装着指導をしてくれた。入れようとすると、無意識に目を閉じてしまったり、頭が後ろにのけぞったりする。何とか入れて診察を受けて無事購入。1回使い捨てタイプである。慣らすために、ここ何日かはコンタクトで過ごしてみようか。眼鏡をしていない僕は、たぶんほかの人から見たら「誰?」という事態になってしまうから困った。マジックで顔に直接眼鏡のように線を書いたら、案外、自然に見えちゃうかもしれない。
ちなみに、みんなが裸の中で、どうやって神男を見分けるか。簡単である。彼だけは本当に裸なのだ。