2月17日

 間瀬サーキットの耐久レース・クーマックカップを走った雅久号は最初、アンダーコートは手を着けなかった。ナンバー付きだったこともあるし、始まったころは「ノーマルで参加できるレース」という触れ込みだったから、雅久号にもナンバーを取って、自走でサーキットまで走っていた。早朝にサーキットに到着すると「儀式」として、ジャッキアップして触媒をストレートパイプに交換していた。そうしなければならなかったから、当たり前のようにしていた。

 その仕様のままでも良かったのだが、ともに参戦していたシビックがとっても速かった! 予選では1秒半ぐらい引き離されていて、絶望的な差があった。それでも何とかレースになったのは、ロードスターが安定してタイムを刻めたことだ。前後、ローテーションが必要がないほど均一にタイヤが減ったし、スタート直後からゴールまでほとんどタイムが同じだった。

 とはいえ、あるとき、バージョンアップしていかないと、勝負にならない感じになってきた。ということで、やったことといえば軽量化だ。トランクに積んだバッテリーをエンジンルームに移設してハーネスを間引いたり、内装もクラッシュパッドは残してあとは裏側を削ったりして限界まで軽くした。細かいステーなども切り取ってちまちまと軽量化。

 で、アンダーコートもはがしたのだけれど、たぶん、それで一桁キロぐらいしか軽くはならなかったと思う。少しでも速くしたければ、通過儀礼的にやるしかないのだけれど、労力と得られたタイムが比例はしない世界ではある。

 日曜日に作業していて、雅久号での試行錯誤を思い出した。で、何が書きたかったというと、最近、おなか周りを中心に自分自身の軽量化が進んだ。間瀬を走っているときに軽くなっていれば、明らかにタイムが変わるぐらいに。

 数キロであんなに苦労したのに、なんということだ!