朝からデコポン畑に行く。聞き慣れないかもしれないが、ミカンと同じ柑橘類で、ポンカンという品種と清見という品種の合いの子だ。ヘタの回りが出っ張っているのが特徴。水俣周辺では今ぐらいから露地物が採れ始める。
元々、全国一と言われた甘夏みかんの産地だったが、あまり食べられなくなったのでデコポンに切り換えているのだという。皮を手でむくことができ、中の房ごと食べられる上、味も良い。だから高い。柑橘類の高級品なのだ。
デコポンでも全国一の産地だと、名古屋の市場のおっちゃんに聞いてはるばるやってきた。冬でも霜が降りない温暖な気候と良い土壌。他の産地では、なかなかまねできない。しかも、光センサーを使って糖度と酸を計測し、基準に満たないものは出荷しないから味のばらつきがない。農家に対しては、基準に満たないものばかりを持っていくと儲からないシビアな仕組みを作っている。だから、市場での信頼も厚く、高値で取り引きされる。
今は、ハウス加温のための作業の真っ最中であった。今年の11月中旬に収穫できるよう、今のうちから春の気候を再現して、早めに芽吹かせるのだという。だから、今は収穫や木の剪定と同時にハウスの加温作業も加わって、異常な忙しさなのだ。そんな場面にのこのこと顔を出してしまい、恐縮することしきりである。
水俣は熊本県最南端である。すぐ向こうが鹿児島、というところまで行ったのだが、鹿児島の土を踏むことはなかった。
昼飯を水俣駅前の和食の店で食べる。駅前の目と鼻の先に、あの水俣病の原因となったメチル水銀を排出した会社「チッソ」の工場がある。そんな場所でちょっぴり複雑な気分になりながら、刺し身定食を食べた。地元とれたての魚の刺し身は非常にうまい。市場でも新鮮な魚を食べているけれど、それよりもさらに新鮮である。輸送に時間がかかっていないのだから当たり前なのだが。
サラダたまねぎも作っているというので、そちらの畑にも出かける。農協のおじさんの車に乗せていってもらうと、街にはチッソの関連会社が立ち並んでいることに気づく。そして、海だったはずの場所は広大な埋め立て地になっていた。チッソは昭和7年から41年まで、アセトアルデヒドを生産した排水を垂れ流した。水俣湾にたまったメチル水銀を、埋め立てて封じ込めた形だ。
たまねぎ畑に行くと、不知火海に面し、緑色一色に染まった畑が広がっていた。素晴らしい展望であったのだが、反対側には、今も工事が続く埋め立て地も望むことができる。複雑な気分だ。
複雑な気分のまま、サラダたまねぎの話を聞く。やはり、水俣産というレッテルが誤解を招いて販売面で苦しい時期もあったのだそう。水俣病を経験しているから、農薬と化学肥料を減らし、除草剤を使わない、今のトレンドを先取りした農業を早い時期に確立したのだという。
化学肥料を減らすため、特別に作った肥料も使っている。それを作っているのはチッソの工場だ。複雑な気分。
午後3時半の特急に乗らないと名古屋に今日中にたどり着けないのだが、仕事が長引いてしまったので、帰るのをあきらめた。博多に泊まることにする。何となく後ろめたい気がするので、こんなときには仕事をつくるしかない。1泊増えたのを上司に報告するときの理由とするのだ。明日、東京で仕事をすることにして、福岡から東京まで飛行機で行くことにする。滅茶苦茶だ。
今日中に博多に着けば良いことになったので、時間に余裕ができた。ならば、行って置かねばならないだろうと、市立の水俣病資料館に行く。58ヘクタールに及ぶ、広大な埋め立て地の一角にある。
大型スクリーン映像を独占したり、パネル展示を見たりする。小さな漁村だった水俣に、チッソの工場が来て、熊本でも一二を争う工業都市に発展。一時は5000人の従業員を抱え、水俣は豊かになった。ところが、1500人近くが亡くなり、12000人以上が健康被害を受けた。メチル水銀で神経が冒されるのだから、恐ろしい。
外に出て、埋め立て地の端っこを歩く。どうせ時間があるのだから、水俣駅まで歩くことにする。1時間ぐらいの距離か。埋め立て地には大きな建物が建てられないからと、見渡す限りの巨大な公園となっている。
人口規模からすればまったく不必要なくらい巨大な公園の縁を歩いていると、思いはどうしても足下に残っているはずのメチル水銀に至ってしまう。公園のグラウンドではサッカーの練習。その傍らでラジコンヘリが飛んでいる。埋め立て地反対側では、まだ整地する工事が続き、公害がまだ現実の問題であることを知らせてくれる。その向こうにはチッソの工場施設が立ち並び、操業を続ける。
チッソはまだ水俣の主要企業の一つだ。一時、5000人いた従業員も、今は660人。年々、規模が縮小されていくに従い、水俣の街も寂れていく。悪夢のような被害を出した企業なんぞは、地域から追い出してしまえばよい、と思うのだがそんなに単純に割り切れる問題でもない。
複雑な思いを、博多へ向かう車中でつらつらとテキスト化していたら、こんなに長くなっちゃった。