2月10日

 突然ですが、名古屋に行くことになりました! 3月から。

名古屋に行くことになりました! 

 もともといた部署へ出戻り。10月下旬にそんなような情報を察知していたので、びっくりはしないけれども、決定までは動けないわけで、決まったとなるとばたばたと忙しくなる。忙しい時期でもあるから。

 2007年8月に富山に来たときから、いるのは3年がマックスだと思っていた。なので、間瀬耐久レースに勝つためにはフル参戦で2シーズンできれば良いところ。その時間で、勝つためにはとりあえず、最初の年の最終戦は出なくてはならないわけで、富山に来て速攻ですたげさんからVスペシャルを買って仕事をさぼって雅久号を仕上げて参戦したのであった。

すたげさん

 レースって参戦するからには目標は勝利に置かないと意味がない。最初は心構えが悪くておおとろ監督に本気で怒られたこともあったけれど、何とか日々どうやったら速くなれるかを考えて、車を作って走らせて、ベストの状態でレースに臨んできたつもり。耐久レースは他の2人と一緒に走る競技なので、ドライバーたちの休みと間瀬の走行枠がなかなか合わなくて毎回、ドライバー的にも車的にも微妙に準備不足だったことは否めないのだけれども、まあ、与えられた条件の中でやれることはやり切ったと思う。

 結果、フル参戦2シーズン目で年間チャンプを獲得。速さではライバルチームに大きく遅れを取ってしまったけれども、運もあって結果を残すことができた。3ヒート走りきってポイントが上回った方が勝ち、なのだから、間違いなく勝ちなんだけれども、まだやり残した感はたっぷりある。まあ、例えトップの速さだったとしても、やり残した感はあるに違いない。それが、モータースポーツだし、最初から見えていたら、やる意味もない。

 とにかく、足の動きが気に入らなかったらその都度、ショックの減衰変更をかけたし、バネやそのほかもろもろのパーツは必要なら投入した。タイヤはバンバン使い捨てた。とにかく、お金は使うことにして、制約ではなくした。こんなこと書くと、トロフィーをお金で買っているみたいで嫌な感じに受け取られるかもしれないけれど、モータースポーツはそういうところがある。金を出せないやつが悪い、みたいな。それは、鈴鹿のFJ参戦で嫌と言うほど実感した。ただ、お金を掛けたからといって、速くなれるわけでも勝てるわけでもないけれど。

 少なくとも、トップの速さでもうまさでもなかったので、カップをいただけたのは勝負運と結論づけるしかないけれども、とにかく参戦して結果が出たことは良かった。15インチにGTウイングにと、2009年シーズンの枠組みで完璧に車をつくり切れていなかったのでやり残した感はとてもある。今の車の悪いところをなくすべく、バランスを最適化したとして、ライバルチームのタイムには届かないと思うから、勝負するにはナンバーを切るしかないな、なんて思ってみたり。

 車検が通る仕様で自走して参戦するのがNゼロだと思うし、事実それで勝ったのが、格好良いなあ、と自己陶酔してみる。

 と、こうつらつら書いてくると、名古屋に引っ越しして、いよいよ車遊びからは卒業か、と思われるかもしれないが、それは間違い。名古屋から富山って、家の近くのコンビニに缶コーヒーを買いに行く程度の距離にしか感じない。ま、工場まで20分だったのが3時間に離れるけれども、その分、早く寝て早起きすれば良いだけ。

 2010年シーズンの間瀬耐久に参戦しようかどうか、まだ迷っているところ。車のメンテをある程度してくれるドライバー、募集中(笑)。