12月31日

 昼過ぎにデミオに乗って実家へ。アパートの近くでます寿司買って国道41号で南下し、神岡でホルモン買って東海北陸自動車道。飛騨は雪が降っていたけれど、路面はウエットで問題なし。格闘技や紅白を見ながら、大晦日ということで、締めくくりの「日常」を書いてみる。

 一言で言えば、思いっきりレースをした1年だった。

 正月から雅久号のヘッドオーバーホールをして、ブッシュ交換も。3月には間瀬に2回出掛け、4月にも1回間瀬で練習。その後のおわらの走行会でセッティングを煮詰めようと思ったら、走行開始10分でクラッシュ。新品バンパーを真っ二つにする。

 5月はクーマックカップ第1戦。トップチェッカーももらって2位と滑り出しは上々。すぐにSTAGE走行会があって参加。軽井沢ミーティングも雅久号で参加。

 7月も2回間瀬。クーリングシステムなどをテストし、万全の状態で7月末の第2戦。暑さの中のレースは想像以上に過酷だったが、再び2位を確保した。

 夏から秋にかけては選挙があって忙しかったが、第2戦で手負いになった雅久号を直しつつ、熟成を進める。11月2日のSTAGE走行会で調整して、9日の最終戦。13秒台のバトルを繰り広げて、3位。年間総合2位を確保した。

 こうやって簡単に振り返るだけでも、間瀬に行きまくっていたことが分かる。どのレースでも必ず事前に出掛けて、セッティングを取ってから本番に臨んだ。予選の最初から全開のタイムアタックができるように準備したのが、安定した成績を残した一つの要因だと思う。いつもレースのことを考えていて、枠の中でどうやったら速く走れるかをずっと考えてきたから。どうせレースやるなら本気で車作って練習して、言い訳をなくして走らないとおもしろくない。

 締めくくりは金魚決戦。夜のバトルで腹筋を鍛えて帰ってきた。

 雅久号はまだまだやり残したこともいろいろあり、僕のドライビングにしたって、タイムはそこそこ出るようになったけれど、まだまだレースでバトルをするような腕や、いろいろ引き出しを作って、すべてを駆使しながらバトルするような奥深さはない。

 来年のクーマックカップは、ロードスターにかせられていたハンデがなくなる。助手席とハードトップはなくてOK。タイヤも15インチOK。ニューネオバを試すことができる。

 これで、車づくりにしても、ドライビングにしてもチャレンジが増えたのだが、やっぱり今年みたいに燃えない。なぜかって、ホッピーレーシング2台が走らないって言ってるんだもん。やっぱりレースだからライバルがいてはじめてバトルが成立するわけで、ライバルのいないレースってやりがいが256分の1ぐらいになってしまう。

 正直、年間3戦とはいえ、車の整備とサーキット走行で休日はほとんどつぶれてしまう感じになる。やっぱりクーマックカップって全開で合計3時間走るわけだから、車の消耗もそれなりに激しい。それだけの時間を一つのことに費やすのって、モチベーションが必要。「ライバルがいる」ってことで気持ちが支えられていた気がする。

 ま、レースなんて、走れるときに本気でやらないと次はないと思った方が良い。同じレベルのロードスターが何台も間瀬に集まってよーいどんで走ってレベルの高いバトルを繰り広げたなんて、本当に奇跡的なシチュエーションだったんだと思う。レースのやりがい1024倍。そういうところに身を置けただけでも今年は良い1年だった。

 来年は、レースはちょこっと力を抜いて、元祖雅号を復活させ、あちこちロングツーリングに出掛ける所存。