世間がお祭り気分で華やいでいるときに出勤。どうせ休んでいてもなんの予定も入らないから、仕事をしていた方が気が紛れる、とも言える。ハードに車をいじった若者の、悲しい末路を暗示している気がする。
クリスマスで騒いで、大晦日に除夜の鐘を付いた直後に、初詣に行く。何の矛盾も考えずに、ただお祭り騒ぎしている国民性が最近まで嫌いだった。だから、今日みたいな日に、街中で幸せそうに手をつないで歩いているカップルを見かけたりすると、わぁ、と叫んで走って間に割って入り、突然の蛮声にひるんだ2人の間で「馬鹿馬鹿しいからやめろ!」と奇声を上げ、どんどんと地団駄を踏んでやりたい気分になったものである。いや、これはただのひがみか。
無宗教ならかまわないのだが、これだけの短期間に3つもまたいで騒いでいるのは閉口していた。ま、世間が騒いでいるときに、うつむき加減に、無邪気だねえ、と両手を挙げながらニヒルにつぶやいている人間はいやな奴だけれど。
最近、ふとしたことから、これが日本人の感覚なんだな、と思うようになった。昔の人は北アルプスだとか、御嶽山だとか、ぶっとい大木だとか、巨大な岩だとかを「神」としてあがめていたんだな、と。自然全体が神でたくさんの神がいることが普通だったのだから、仏様がきてもキリスト様が来ても神の一つに組み込んじゃったのね。そう思ったら、さまざまな宗教の節目に騒いでいるにも悪くはないかな、と思い始めた。ホントに、つい最近。
しかし、クリスマスだけは、騒いでいるのが許せないのである。なぜならば、ただひがんでいるからである。こんなことを言っておいて、来年あたり、無邪気に騒いでいたりして。
ハードに車いじりしている限り、無理か。