大阪と神戸に行って来た。いずれも震災関係のお話を聞くためである。
大阪では弁護士から欠陥住宅について聞いた。阪神大震災では犠牲者の多くが倒壊した我が家の下敷きになって亡くなった。震度7の激震だから、人間が作ったちっぽけな建物などひとたまりもないに違いないのだが、もし住宅がきちんと作ってあれば死なずに住んだ人が多かった、という点では関係者の意見が一致している。
震災直後に現地に行った建築士の話では、やはり欠陥があって倒壊したと見られる住宅が多かったという。しかし、あれだけ大きな災害の中、自分の家がつぶれたのを欠陥のせいだと疑ってかかれた人は少ないだろう。なにしろ、ライフライン復旧の錦の御旗の下、あっという間に倒壊家屋は片づけられて更地になってしまったのだから、証拠も何も残っていない。
片づけにくかった鉄筋コンクリートのマンションについてはいくつかの訴訟が起きている。たまたま、建築士が倒壊した木造住宅の状況を記録した書面をもっている人が住宅メーカーを訴えたところ、勝訴した事例がある。専門家でも、一件しか判例が探せなかったというぐらいだから、非常に幸運だったのには違いないが、倒産寸前のメーカーでお金がなく、一審では4000万円以上の賠償が命じられたのに、結局1000万円での和解となったという。
神戸では、復興に携わったNPOに行った。10年前の阪神と、今回の新潟県中越地震では「都市」と「地方」という点で違いがあるという。
地域のコミュニティーが希薄になった神戸のような都市部では、ボランティアが入り込んでもすぐに支援活動がしやすいという。しかし、今回の地震で山間部の集落のようなところに入り込む場合、地域コミュニティーが残っているものだから、ボランティアは警戒されたり、「うちの集落の問題はうちで片づける」と支援を受け入れなかったりするという。阪神大震災の教訓が生かされて、仮設住宅への移住では、集落単位で割り振ってコミュニティーを壊さないようにしたものの、山間部の村では現役で働いていたお年寄りが多く、移住はすなわち仕事を取り上げることを意味するので、今後、急激な体力の低下などのおそれがあるそうだ。そのNPOでは、仮設住宅の近くに住民が集えるサロン的な場所を設けて、お年寄りらが孤立化しないよう継続的な支援を続けていくという。水害の場合、救援ボランティアは短期集中で力仕事をすればそれで終わるのだが、震災の被災地の支援は長期に及ぶところが難しいところだ。被災者の心のケアばかりか、ボランティアの心のケアまで必要になって来るという。
今週の月曜日、新潟の被災者を、神戸ルミナリエに招待したようだ。阪神大震災直後に鎮魂と復興を願って始まったイベントだから、その光と街の復興ぶりに勇気づけられたに違いない。また、こうした支援が新聞やテレビで被災地に伝わることで「見捨てられてはいないんだ」というメッセージを送ることにもなるという。支援では物、金、マンパワーに目が向きがちだが、こうした心のつながりも、潤いのない毎日を送っている被災者にとっては大切なのだ。
僕は、といえば、きらびやかなルミナリエには目もくれず、タクシーで新神戸に直行。そのまま新幹線に駆け乗って、売れ残りの駅弁を食べながらあっという間に名古屋に戻った。