特定非営利活動法人を立ち上げて、介護問題に取り組んでいる人と会った。この人、28歳の男性である。まだまだ若いのに、すごい行動力だ。
東京の大学の語学関係の学部に入ったものの、高校時代の勉強の延長のような詰め込み学習に愛想が尽きたらしい。世田谷に住んでいる、重度身体障害者の介助をするボランティアに出合って、のめり込んでいった。
1年で大学を中退。老人介護の仕事で稼ぎ、夜間の学校に通いながら、資格を取った。「人と人と会うのが楽しい」と、介護の仕事が思いのほか、自分に合ったらしい。将来はこの道しかない、と決めてしまった。
就職したのは介護保険がスタートする前夜。故郷である長野県でも事業所ができることを知り、ある介護会社に入った。
しかし、急に規模を拡大したためか、ろくなマニュアルも、ノウハウ伝授もなく、ただ地方に任されるだけの運営。「長野県に合ったやり方があるはずなのに」と疑問を持ち始めたのだとか。この業界ではなかなかの給料がもらえていたのだから、普通の人だったら、疑問を持っただけで流され、そのままただなんとなく、毎日を過ごしていたはずだ。
ところが、この人は違った。働きながら、NPO法人の設立を準備しちゃったのである。勤めながら昨年10月に法人を設立してしまい、今年2月に退社すると同時に、介護事業者の認可を得た。
「独立してもやっていけると思った」と、ケロリと話すのだが、なかなか普通の人にはできない。独立に当たっては、介護会社の顧客をもらっていったそうだから、したたかではあるのだけれど、それでも、NPO法人だからねえ。どう考えても、稼ぎがありそうにない。
設立以来、ヘルパー派遣などの介護保険事業をやったり、介護保険では認められていない事業もやったりしながら、来月から「託老所」と呼ばれている場所を設立してしまうのである。けっこうこの地域では先進的な取り組みをしているのだけれど、「自分だったらこうしてほしい、と思うことをやるだけです」と、きっぱり。
自分の信じた道に突き進むその姿に、正直、しびれました。5、60代で人生の酸いも甘いも味わった人なら、いかにもありそうな話だけれど、20代。同じ世代として、ため息が出てしまう。
仕事場の些細なことで、この世が終わったような騒ぎをしているような僕が、とってもちっぽけに思えました。