11月20日

 長野出張で、夜に友達を誘って飲んだ。2時間ぐらい空き時間があったので、長野の中心街を歩いた。街を知るためとにかく歩いた。早足で2時間だから10キロ弱。

 はっきり言って、長野を見くびっていた。松本人と長野人は気質の違いから仲が悪い。明治初期のころは違う県だったし、戦前は分県論も何度か高まったらしい。高速で走っても1時間ぐらいかかるほど距離が離れているので、地域の一体感は全くない。日銀の支店や陸上自衛隊駐屯地がなぜか松本にあるのも、長野との誘致合戦で引っ張ってきたからである。戦前、高校野球決勝戦の長野商業と松商学園の勝負では、スタンドで乱闘騒ぎが起きたほど、とにかく対立甚だしい。

 生まれは尾張でも、3年以上松本に住んでいると、そんな気質がうつってしまう。だから、長野を見くびっていた。長野で1番は松本だと。商店街も松本の方が元気がいい。長野は駅近くのそごうとダイエーがつぶれるし、宇宙人田中康夫に引っかき回されているし、とんといい話がない。善光寺だって、お城にはかなうまい。

 そんな思いを抱きつつ、駅前をぐるぐる歩いた。面積が広いだけで味に欠ける街並みである。つまらん。黙々とただ歩いた。1時間ぐらい歩いて、少し北の権堂へ。ここは県内一の歓楽街。アーケード下は煌々と電気が点いていて、呼び込みの兄さんやら姉さんやらでにぎやかである。実際に歩いてみて、少し考えが変わった。まだまだ元気があるな、と。

 アーケードを抜け、善光寺の正面の道に出たら、屋台があった。さっき歩いていたときに、花火を打ち上げた音がしたから、何かの祭りだろう、と思ったら、熊手を下げて歩いている人とすれ違った。商売繁盛を祈るえびす講である。そうか、そうであったと、屋台につられて善光寺の方向に向かう。

 古くからの街並み。文芸座。屋号。横に伸びる路地。古くからの雰囲気をちゃんと守っているのは大したものだ。ついでだから善光寺の境内まで行った。お参りして、先ほど気を引かれた路地へ向かう。飾られた表通りにはない、生活のにおいを感じる。街を味わうなら、路地を歩くのが、いい。

 薄暗い路地を抜けたら、再びずらりと並ぶ屋台。一層の人混み。えびす講を営む西宮神社に近づいたらしい。たこ焼き、クレープ、焼き鳥、大阪焼き、綿菓子。正しい祭り屋台が並ぶ。いっそう人が増えてきたところで、熊手を売っている屋台がずらり。「勉強するよ!」と威勢のいい掛け声と、雑踏。ビールを片手に焼きそばを作るお姉さん。売る気があるのか分からないおじいさん。ストーブに当たりながら、商売そっちのけで談笑。正しく本物のお祭りがあった。

 それに引き替え松本は。昭和40年代、先見性と行動力があるから、再開発で通りに立ち並んでいた蔵をすべて壊して道を広げた。古い街並みは中町という蔵が並んでいるところぐらいしかない。今年終わる中央西の再開発では、無機質な街並みができちゃった。確かに、松本商人の方が、時代を読んでうまく立ち回ったけれど、失ったものも大きい。古い物が嫌いな気質だから、あまり残っていない。城下町独特の風習も忘れ去られかけている。

 やっぱり、善光寺は強かった。大型店舗がつぶれて景気が悪い悪い、とは言うけれど、それは善光寺の回りに新しくふくらんでいった街での話。善光寺回りの街並みは、景気なんてどこ吹く風、てんで問題じゃなかった。長野もやるなあ、となんだか分からない、間抜けな言葉をつぶやいた。

 その後、権堂で飲みまくりうたいまくる。