10月23日

 長久手のおっちゃんが、「面白い人に会うから来い」というので、5時に仕事を抜け出して藤ヶ丘で拾ってもらい、東名で岡崎へ。

 到着したのは、ある産婦人科だ。表向きは普通の産婦人科。しかし、回りに巨木がうっそうと茂っていて、なんだか鎮守の森のような雰囲気が漂う。ちょっと奥まったところに、真新しい木造の建物が。

 真新しいのだが様式は江戸時代の建築みたい。かがまないと入れない入り口をくぐると、中は最低限の照明しかなく薄暗い。そう、富山の仲間なら分かるのだが、二上山に立つ合掌造りをもう少し暗くしたような雰囲気だ。高い天井。巨木のはりががっちりと屋根を支えている。聞くところによれば、一人の大工さんが2年かけて作ったのだそうだ。

 土間から上がったすぐの場所に、机が置いてあり、老夫婦が座っていた。たったいま、お産の最中なのだという。娘がお産するので群馬からわざわざ来たらしい。

 「こっちがもっとすごいんだ」とおっちゃんの案内で隣の建物に行く。300年前のかやぶきの農家だ。30年ほど前に移築したのだという。井戸があって、家の周囲には大量のまきが積み上げられている。

 おっちゃんの話によると、ここではまったく医者が手を出さない自然のお産を実践しているという。妊婦さんに、薪割りだとか井戸からの水くみだとか、かまどでの炊飯だとか、江戸時代の肉体労働をさせることで、それこそ赤ちゃんが「つるん」と生まれるのだとか。体力のほかにも、気力の部分も大きいんだろう。聞くところによれば、逆子だろうが、帝王切開せずに生ませている、というのだからすごい。

 余談になるが、日本の赤ちゃんの生まれた曜日、時間をグラフにすると非常に興味深いことが分かる。市民団体の資料によると、2001年12月に限れば、月曜から金曜までは3200人前後生まれているのが、日曜日は2400人前後と明らかに少ない。時間別にすると、正午から午後2時までが他の時間帯より倍も多い。

 さらに、25、26日の数字を見ると、3800人台。明らかに年末年始を嫌って人為的に生まれていることが分かる。日本の妊婦さん達が気遣いが良い、ということではなく、医師が陣痛促進剤を使って生ませているらしい。

 この病院では、江戸時代の暮らしをさせて、お産はひたすら見守るのだという。3日だろうが1週間だろうが見守る。20000人もこの方法で生んでいて、驚くことに失敗がない、というのだからすさまじい積み重ねだ。江戸時代のあり方というのがカギなのだろう。

 300年前の農家を見て、新築の江戸時代建物に戻ってきたら、「おぎゃあ」と産声が聞こえた。そういえば、本物の産声なんて聞いたことがない。女性の泣き声がしたのは、たぶん母親が感動して泣いちゃったんだろう。

 座敷で待っていたら、仙人みたいな人が現れた。院長らしい。酒盛りがスタートし、大吟醸のうまい日本酒をがぶがぶ飲みながら、仙人の言葉に耳を傾けた。

 20000ものお産に付き添っていて、感じたのは「神の存在」だというから、話がオカルトめいてくる。科学が進んで人間が何でも分かったようなつもりになっているが、なにも分かっちゃいない、とこの仙人。

 「医師が経済性に走り、陣痛促進剤を使うような医療をするからお産がつらい、いやなものに思えてくる。本来はスピリチュアルで素晴らしいものなんだ。医者は余分なことをしなくてよいんだ」というのが持論だ。20000という数がバックにあるから、論理ではない迫力で納得させられる。赤ちゃんの顔を見比べても、違いが分かるのだとか。病院で生まれた赤ちゃんは「あ〜あ、生まれて来ちゃったよ。疲れたよ」という顔をしているらしい。一週間もお産が続いたら母親が危険じゃないか、と聞いたら「人の生命力をなめちゃいけねえ」。

 江戸時代様式の建物で、薄暗い中、すきやきをつまみに酒をがぶ飲みして、仙人とおっちゃんは、こんな話をしていた。仙人曰く「生は極めたから、今度は死だ。独自やり方のホスピスを作りたい」。社会福祉法人の理事長でもあるおっちゃんが用意した土地に、足助から古い民家を移築して、そこで何も手を加えない自然な死を実践するのだそうだ。すでに話が進んでいて、2軒の民家と1軒の寺の庫裏が、来年の春までに長久手に移築される手はずがついているという。

 「生まれる瞬間が素晴らしいように、死も素晴らしいもの」という仙人の言葉は、若造の僕にはちょっと分からない世界だが、「俺はいつ死んでも良いと思っている。年を取ってきて、お産が長引くと意識が遠のくようなときもあるが、死んでも良いと思っているからね。いつでも真剣なんだよ」と語る姿は、プロフェッショナルのすごみがあった。

 この後、まだ2つもお産があるというので、帰ることになった。仙人の話をさかなに日本酒をがぶ飲みしたので、やばいほど酔っぱらってしまった。

 不思議な夕べ。