10月2日

 「あれのお披露目だから来てよ」と、布袋のおっちゃんから電話があったから出かけていく。

 「おもしろいものがある」と、布袋のおっちゃんの紹介で、とあるお医者さんのガレージで鉄の台車を見せられたのは2か月ぐらい前。なんでも、お祭りのために山車を造っているのだという。ほとんどお医者さんのお金で作っているようなものだから、高さ7、8メートルの仏壇のように輝く立派な山車は無理なのだが、お祭りの復活のためにおもしろいことをやっているな、と感動したのである。

 その山車が完成した。鉄の台車の上に地元の大工がヒノキでさらに台を作り、さらにその上に毎年担いでいた御神輿を、担ぎ棒を外して載せた。高さ3.7メートルで、岩倉の8メートルの山車に比べたらかわいい感じなのだが、やっぱり山車である。なかなか堂々としたものだった。

 なんでも、年々祭りに参加できる大人が少なくなってきて、御神輿を担ぐのに必要な8人も確保できなくなったらしい。「一回みじめな思いをしてもらおう」とお医者さんは昨年、担げなくなったのだからと、御神輿をリアカーに載せて神社まで運ばせた。他の町会はきちんと担いできているのに、一町会だけリアカーなんだから、相当恥ずかしい思いをしたに違いない。

 「どん底を味わってもらって、改めてやる気を出してもらおう」と、今年はその御神輿を改造して山車にした。鉄の台車には、鋳物の鉄ホイールに、堅いゴムを巻いた特性のタイヤがついている。台車は、立派な金の刺繍がしてある幕で覆われているから、鉄だとはわからない。タイヤのおかげで子供2、3人でも押せば転がるが、ステアリングがついている訳ではないから、曲がり角では大人が数人で山車を持ち上げて曲げてやる必要がある。やっぱり、みんなで苦労して力を合わせる場面がないとお祭りにはならない。

 こうした試みから人と人との絆が固くなり、地域が再生していくきっかけになるんだろう。将来は子供にお囃子も覚えさせたいという。新しく生み出したお祭りがどんなふうに成長していくか、楽しみである。

 お披露目が終わった山車は解体されて再びお医者さんのガレージへ。僕の目は、終始同じガレージ内に止まっていたモーガンに注がれていたのは秘密である。