金曜日に午後から激しく仕事をさぼってエンジン製作をお手伝い。組むことを考えずに、ばきばきボルトを外して放置してあったから、大変迷惑をかけてしまった。夕方、仕方なく、仕事をこなし、再び午後9時半ぐらいに工場に行ったら、耐久仲間2人も手伝ってくれていて、エンジンは車載状態だった。
クラッチレリーズのパイプの原因不明の変形があったりと、いろいろなエラーを乗り越えて、エンジンがかかったのが午前2時すぎ。ビールを飲んで意識を失ったのもつかの間、8時前には起き出して作業の続きをする。
シフトレバーを付けて、ミッション、デフオイルの交換。工場の外に出して、ウマに上げ、ブレーキの調整と車高の調整などなど。シートを付けたり、パワーウインドーのスイッチをとりあえず付けたり。こまごまとした作業を一通りして夕方に、ようやく走れるように。「じゃ、旅立ちます」とあいさつして、そのまま1000キロの慣らしへ。
500キロ走って実家へ。メシだけ食べて午前2時にはまた出かけると親に言ったら「馬鹿か」とあきれられた。仕事のせいで睡眠を取ることができず、そのまま出発。名古屋インターから再び高速をぐるぐる。一度、分岐を間違えてしまい、余分なお金を払うことになってしまった。
睡魔でやばい状態になり、サービスエリアでバケットシートのまま20分程度の仮眠。時間を逆算して、通勤時間割引が始まる時間に飛騨清見インターを下りれば都合が良い感じだったので、そのように走ったが、眠くて視界もふらふらとしてきたので、ひるがの高原のサービスエリアで再び仮眠。が、朝になってけっこう騒がしかったので、ふらふらと出発して飛騨清見へ。卯の花街道の長いトンネルで高回転慣らしをしながら抜け、道の駅をすぎたあたりの路肩に車をとめて再び20分ほど仮眠。
国道41号で富山へ。ガソリンが少なくなってきたので、神岡へ下る途中に新しくできたセルフのガソリンスタンドへ寄ったら、レギュラーが1リットル130円だったので、思わず満タン給油をしてしまった。
おわらサーキットのゲートオープンが午前8時半。15分前に、990何キロかの走行を終えて到着した。
すでに1000キロ耐久を終えて疲弊してしまっていたので、もう走りたくない気分だったが、レーシングスピードで走らないことには今後の方向性も見えてこないので、仕方なくヘルメットにグローブを着ける。走行会では車名が「雅久号」(まさきゅうごう。ああ、雅の耐久号ね)でエントリーされていた。
足回りは慣らしの段階でとても好印象だった。とりあえず前12キロ後ろ10キロのバネを入れてあるのだが、高速でふらふらしたのでフロントの減衰を2段階いじったらばっちりになっていた。何より、しなやか。それは徹夜で1000キロを走れてしまったこと自体が証明している。
おわらサーキットは、4年ぶり。けっこう走ったコースだけれど、経営が変わってけっこう改修されたという。ちゃんと走れるかしら。
コースイン。が、まともに走れない。ブレーキを踏むと途端にフロントがロック。まったく攻められない。新品ローターとパッドだとしても、ちょっとひどい。エアでも噛んでいるのかしら。とりあえず、ストレートで加速してフルブレーキをするだけで1回目の走行は終了。
こんな走りだったのだが、足の良さはすぐに分かった。とっても素直に動く。
もう一人のドライバーにブレーキのことを伝えてコースに出てもらう。戻ってきて一言、「ちゃんと利く」。やはり、焼きが入っていなかっただけみたい。
2回目のコースイン。体力の限界を超えてしまっているのだが、サーキットではアドレナリンが出るらしく、何とか体は動く。攻めてみると、なるほど、ちゃんとブレーキは利く。足は、ぽん付けしただけにしては上等な動きをして、ステアリングで曲げちゃうことも、積極的に姿勢を作って曲げることも自由自在にできる感じ。新品を入れて良かった。
車屋さんに乗ってもらい、フロントの車高を少し上げることと、左右の減衰力が違わないか? と聞かれた。確かめてみると左右で2段ぐらいずれていた。いくら試し乗りでもちゃんと確かめてから乗ったほうが良い。
お昼の時間にセッティングをして、名古屋の魚屋さんから送ってもらった今回の走行会のサプライズである伊勢エビを食べる。
名古屋まで伊勢エビの香りが届いたらしく、鈴鹿FJドライバーのDさんがつられてやってきた。あれこれ走り談義。鈴鹿で走っていた時代よりは、濃い内容で談義をした。
午後からは雅久号が大人気。足が良いことが伝わり、耐久ドライバーをはじめ、10人近くに乗ってもらった。結局、1日でサーキットだけで200キロ近くを走った。耐久レースに出ても大丈夫そう。
とにかく、苦労して車を作ったかいがあったシェークダウンだった。