10月15日

 なぜか夏目漱石の「三四郎」を読む日々が始まった。外に出てさぼることもかなわず、1日中缶詰の1週間となってしまう。これが仕事なんだから、リストラのための意味のない作業を割当たられたような気分である。

 確か、セガかどこかで、リストラをするために「隔離部屋」を使って、1日中本を読むことも許さず、じっと座ってすごさせる部署を作ったという記事を、週刊誌で読んだ覚えがある。真偽のほどは見た訳じゃないから定かではないが、もしかしたら、僕が今与えられた仕事はそれに近いことなのかもしれない、と勘ぐっていまう。

 会社のお偉い人の鶴の声で始まっているから、まさかやめさせるための作業ではなかろう、とは思うけれど、なんだか、創造性のない、機械的な作業ばかりなのである。いくら、給料をもらっているとはいえ、もう少し気の利いた仕事をしたい、と思うのは、労働をなめている若者の、少しずれた考え方なんだろう。

 とはいえ、明治時代の文章を読んでいると、なかなか面白い。今の感覚では「えっ?」と思ってしまう文章が矢継ぎ早に出てくる。まったく違った異質の文化に触れているようで、なかなか興味深い。

 まだ、最初しか読んでいないのだけれど、駅弁を買って、列車の中で食べて、その食べた殻を、窓から平気で放り投げる、という描写がある。思わず、目を疑ってしまう。活字を読みながらびっくりする、というのはなかなかないことだ。

 くだらないこの日記の、1日分になっただけでももうけ物と考えよう。