1月3日

 ファミレスで食事をしていたら、後ろの席からGT-Rやシビック、レジェンド、ムルシエラゴなどと車の名前がぽんぽんと聞こえてきたので、思わず聞き耳を立ててしまった。「うちは良くボルボとか入ってくる」などと話していることからすると、一人は車工場で働いている兄ちゃんか? 隣の席には女の人。その迎えには、べらべらしゃべりまくる男が座り、どうやら話の主導権をにぎっているようである。友だち同士にしてはちょっと話し方が変だ。

 車の話題がけっこうマニアックだったので、なんとなく耳に入っていたのだが、そのうちまじめな話になった。いや、まじめな話というよりは、演説口調。不景気な世の中に政府の無策、云々。おしゃべり男曰く「将来年寄り3人を1人が支えるんだよ。年金なんてもらえるわけがない。たとえもらえたとしても、月6万とかなんだよ」。ここら辺でピンと来るものがあった。どう考えても何かを契約させようという勧誘トークである。

将来年寄り3人を1人が支えるんだよ。年金なんてもらえるわけがない。たとえもらえたとしても、月6万とかなんだよ

 気になったので、ドリンクバーでコーヒーをお代わりした帰りに後ろの席を観察する。おしゃべり男は茶髪のどこかおかまっぽい男。若作りしているがたぶん40ぐらいだ。熱心に話を聞いているのは20前後の若い男女。カップルだと思っていたが、違うかも知れない。女の人は茶髪男と前から面識があった感じなので、同年代の女に誘われた、哀れな男、といったところか。

 茶髪男のトークが、年金の話から、環境問題に切り替わった。水環境のことについて、真偽が定かでないことをずっとべらべらしゃべっている。茶髪男曰く「これを使っていれば、川がものすごく綺麗になる。工業廃水よりも家庭排水の方が汚染が桁外れなんだよ。家庭の水を綺麗にすることが大切なんだ。工場なんかよりも、集合団地が一番最悪。けれども、俺がセミナーを開いた団地では、そこの水がどんどん透明度がどんどん上がっている」。なんだか、雲をつかむような話でよく分からないが怪しさ満点なことは確かだ。なにやら、水関係の製品を買うように勧めているらしい。たぶん、びっくりパワーを秘めた水とか、歯磨き粉などの水回り製品、健康食品といったところだろう。

これを使っていれば、川がものすごく綺麗になる。工業廃水よりも家庭排水の方が汚染が桁外れなんだよ。家庭の水を綺麗にすることが大切なんだ。工場なんかよりも、集合団地が一番最悪。けれども、俺がセミナーを開いた団地では、そこの水がどんどん透明度がどんどん上がっている

 「俺の知り合いの中にこれでがんが治った人間がいる。胃がんだったのが、三ヶ月できれいに収まった。喉頭がんの人も治った。放射線で治療をしていて、ご飯も食べられず、飲むこともできなかった。飲めないから、まずは喉に塗ったの(びっくりパワー水を塗ったのか)。超微粒子で皮膚から入っちゃう。そうしたら声が出始めてね。いま、3日に1本の割合で飲んでるけど、元気になったよ」。まともな判断能力を備えた人間ならば、ここら辺で気が付くはずなのだが、若い男女2人は、「すごい」とうなるばかり。たぶん正面からみたら、キラキラと目を輝かせているに違いない。ああ、だまされているよ、と2人をかわいそうに思うのだが、後ろの席から突然「あんたらだまされているよ」と言うわけにも行かず、聞き耳を続ける。そのうち、話がお金のことに切り替わった。

俺の知り合いの中にこれでがんが治った人間がいる。胃がんだったのが、三ヶ月できれいに収まった。喉頭がんの人も治った。放射線で治療をしていて、ご飯も食べられず、飲むこともできなかった。飲めないから、まずは喉に塗ったの(びっくりパワー水を塗ったのか)。超微粒子で皮膚から入っちゃう。そうしたら声が出始めてね。いま、3日に1本の割合で飲んでるけど、元気になったよ(びっくりパワー水を塗ったのか)

 「ただ説得できるようになればいいんだ」と茶髪男。「我々を利用して欲しい。セミナーがある。友人をセミナーに連れてきてもらえないか。絶対、損させない」。おお、本性を現し始めた。だが、若い男は「二人三人なら話したいな、と思う人がいる」と本気に受け止めている様子。「説明は俺がやるから熱は自分たちで伝えて。無理やりっちゅうのもけっこう熱なんだ。納得してもらえればいい。とにかく呼んできて欲しい」。セミナーと称する集会に人を集めて物を売りつける行為は催眠商法と呼ばれるのだが、若い男女はそんな知識はないらしい。

ただ説得できるようになればいいんだ我々を利用して欲しい。セミナーがある。友人をセミナーに連れてきてもらえないか。絶対、損させない説明は俺がやるから熱は自分たちで伝えて。無理やりっちゅうのもけっこう熱なんだ。納得してもらえればいい。とにかく呼んできて欲しい催眠商法

 「たったこの3〜5カ月で基盤が出来る」と茶髪男は続ける。ついに来た。ひきつづき「1年に1人勧誘すればいいんだ」。おお、マルチ商法じゃないですか。

たったこの3〜5カ月で基盤が出来る1年に1人勧誘すればいいんだ

 「この先10年で考えてよ。1年に1人を開発すればいい。その1人も増えていくから、2年目になると1人ずつ増えていく」。茶髪男は資料か何かを見せながら説明している。言葉の中にエグゼクティブだとか、フレッツだとか意味不明のヨコモジの言葉が頻繁に出てくるあたりが、人をだますレトリックなんだろう。

この先10年で考えてよ。1年に1人を開発すればいい。その1人も増えていくから、2年目になると1人ずつ増えていく

 「8、16、32と、倍数になっていくんだよ。それぞれが1人ずつメンバーを増やすと64、128、256…」。茶髪男の話は、ねずみ算トークに切り替わった。「10年後は、単純に計算しただけで月に100万入ってくる。今後10年、会社に居て月100万もらえる? これはあくまでも年1人で非常にスローペースでやった場合。3年に3人増やすだけでこれだけになるんだよ」。ねずみ算で会員が増えることを計算しても意味がない。27代目には日本の人口を超えてしまうという、中学でも習う単純な話を、若い男女は知らないらしい。

8、16、32と、倍数になっていくんだよ。それぞれが1人ずつメンバーを増やすと64、128、256…10年後は、単純に計算しただけで月に100万入ってくる。今後10年、会社に居て月100万もらえる? これはあくまでも年1人で非常にスローペースでやった場合。3年に3人増やすだけでこれだけになるんだよ

 「マイナス成長の時代でも商品がしっかりしたものだから、売れまくる。これは、イイよ。会社には成長する時期があるんだけれど、今が一番いい時期。ある程度話が行き渡ってしまうと、伸びなくなるからね。今、これは名古屋では買えないんだよ。福岡では1時間半レジに並ばないと買えない。それぐらい広まっている。名古屋はまだ更地なんだよ」。まず、物の良さを強調し、もうけの話を後からくっつけるのがマルチ商法の手口である。「とにかく、一人で良いから紹介してよ」と茶髪男のマルチトークもだんだんと熱を帯びる。

マイナス成長の時代でも商品がしっかりしたものだから、売れまくる。これは、イイよ。会社には成長する時期があるんだけれど、今が一番いい時期。ある程度話が行き渡ってしまうと、伸びなくなるからね。今、これは名古屋では買えないんだよ。福岡では1時間半レジに並ばないと買えない。それぐらい広まっている。名古屋はまだ更地なんだよとにかく、一人で良いから紹介してよ

 「君からこの話を話すと、怪しまれるから、こう話すといい。『可能性があるすごい話がある。一緒にやろう』。ビジネスに誘うように切り出せばいい。細かい説明は俺がするから、君は相手に熱を伝えて欲しい。ただものを売るのではなくて、人間関係もできるんだよ!」。最近、ネズミ講マルチ商法まがいの商売が「ネットワークビジネス」と呼ばれてもてはやす向きもあるが、どう考えても成功する話ではない。茶髪男は話の中で「だれもが成功する話じゃない」と保険を掛けておくことも忘れない。

君からこの話を話すと、怪しまれるから、こう話すといい。『可能性があるすごい話がある。一緒にやろう』。ビジネスに誘うように切り出せばいい。細かい説明は俺がするから、君は相手に熱を伝えて欲しい。ただものを売るのではなくて、人間関係もできるんだよ!ネズミ講マルチ商法ネットワークビジネスだれもが成功する話じゃない

 「とにかく可能性がある話でしょ。この会社はお金儲けをしようと全然考えていない。環境を良くしたい、という思いがあるから。自分たちの製品を使ってもらって環境を良くしようと考えている」。お金儲けのことを全然考えていない割には、さっきから儲けた実例ばかりを熱く紹介している。結局、若い男女がだれかを引っ張ってきても、儲けるのはこの茶髪男だけだ。

とにかく可能性がある話でしょ。この会社はお金儲けをしようと全然考えていない。環境を良くしたい、という思いがあるから。自分たちの製品を使ってもらって環境を良くしようと考えている

 

 健康食品だとか、天然素材の石けんだとかを会員だけを対象に売り、さらに売り上げのうち何パーセントかを紹介者にリベートとして渡すビジネスがある。会員はランク分けされていて、たいがいが物をたくさん買うか、会員をたくさん獲得するかでステージが上がるシステムになっている。ステージが上がれば、もちろん金がたくさん集まることになっているのは言うまでもない。だが、ねずみ算の話を持ち出すまでもなく、大多数が損をするシステムであることは、ちょっと考えれば分かることだ。

 扱う商品には傾向がある。たいていは「自信のある本物」を扱っていると称し、広告は使わず、「本当によいかは人からしか伝わらないから、人のつながりで商品を広める」などと説明する。が、商品の効能は理論や摂理を超越したものがほとんどで、何ら信頼できる物ではない。

 神懸かり的な効能を信じて商品を買うだけならまだましだ。だが、いけないのは商品を信じ込むだけではなく、「儲かる」と思って必死になって会員を勧誘し出す迷惑な人が中にはいることだ。友人を誘いだしては商品の紹介に明け暮れるようになる。しかし、だれも会員にはなってくれない。自らもだんだんとお金を吸い上げられていき、気が付いたときにはお金も友だちもなくなっている、という悲惨な末路をたどる。儲かるのは、商品を売る会社と一握りの幹部だけという仕組みなのだから当たり前だ。

 頭では知っていたのだが、ファミレスの後ろの席で実際に勧誘しているのを盗み聞きして、まさしくその通りの話をしているのは正直笑った。今回話を聞いていた2人も、びっくりパワー水をペットボトルで買っているうちなら良いのだが、そのうち50万円ぐらいする浄水器でも買わされて、痛い目に遭うに違いない。若かったし、そんなに搾り取られるお金も持っていないだろうから、数十万円ぐらいは勉強代、と割り切ってしまえば良いのかもしれない。